2017年4月23日日曜日

子供の学力は親次第

今回のタイトルが内容と合うかわからないけれど、
昨日、今後学校は要らないと思う。と、書いたけれど、
子供に学習場を提供出来ない親がいる事を考えると、やはり学校はあるんだろうな。
ただし、

学校が必修じゃなくなる可能性はかなり高い。
その場合、やはり親の情報力が子供の学力を大きく左右するのだろうな。

もし私に子供がいて、ある程度の財力があったら、子供を学校には行かせないと思う。
学校で身につく社交性は、他人視点で人格形成される可能性が高いと思う。
他人視点だと、見栄や優越感、劣等感が先行して自分がどう思うのか?の形成が遅れる気がする。
他人のペースに合わせるのは、自分が出来る様になってから、余裕がある状態じゃないと精神的にもバランスを崩すと思う。
多くの高齢者を支えて行かなくてはならない世代に、自分1人の事よりも10人の老人を1人で支える事を優先させる様な思いやりは自殺行為だと思う。
それよりも、自分のことに先ず専念して、自分のやりたい事を見つけて、それでストレスなく生計を立てていける様に応援する事。そこからもたらされる利益の方が、老人が老人の生活を維持する為に少数の子供に無理矢理背負わせる期待よりも大きいと思う。
そんな精神は学校の様な集団行動に無理矢理合わせられる学校じゃ育むのはまず難しい。

また、
学力なら、自分の学力に合わせて先生がついてくれた方がずっと能率はいいし、
本当に教えるのがうまい先生の授業をネット配信した方がずっといい。
ただ、ネット配信の為のモニターや回線を用意する事さえ出来ない親は実際いると思う。
エラーが起きても対応出来ずに子供が能率のいい勉強法を実行出来ない可能性の方が高い。
そういう子供達の為に結局学校が用意されるだろうけれど、自分の能力に合わせて伸び伸び学習出来る子供と画一的なやり方で平均値に押し込められながら勉強する子供とでは差がついて当然。

友人にちょうど同年代の子供がいて、一方は子供のやる気に惜しまず応える家庭と、
例えば自主的に塾に行きたいと言っているのに、ドリルで自己学習を促す家庭とでは、子供のやる気にに差を感じる。

塾からドリルで自己学習への代替案を出された方の子供は、何をやらせてももういいとなるらしい。
もう諦め癖がついているのに、親はせっかくやる気になった子供の意欲を奪っている事に気付いていない。
子供は塾という方法ならやる気が出ると思った。
親はドリルという代替案は塾と同等の価値があると思っていて、子供の望みも叶えたいい親だと思っている。
子供は自分の望みが叶えられなかった事でモチベーションは下がり、願いは叶わないと諦め癖がつく。
親はそんな子供を見て、自分が子供のモチベーションを下げたと思わずやっぱりやる気のない子だった。塾に行かせずにドリルにしといてよかったと言っていた。
仲のいい友人だったので、私が子供だったら塾に行かせたくないんだな。と思って二度と勉強に関する話題は親に気を使って出さなくなると思う。とそれとなく伝えたが、せっかくやる気になったのに参考書を買うお金を惜しまれ、遠慮してしまった事を後々まで後悔する事になるとは当事者じゃないと想像出来ないだろうな。

本来、子供のやる気を養うのも親の勤めだと思うが、親は自分は放任主義のいい親だと錯覚している。
もし親に情報力があれば、自分が毒親だと気づくかも知れない。

学校じゃ、あなた毒親ですよ。他の家の親御さんは子供の勉強しっかり見てあげてますよ。なんて言えないだろうな。ただ機械的に授業をする場所になるのは仕方ない。





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